●ソーイングライター

 じゃあ、ライターは縫い物しないのか、全然そんなことないです。それなのに二つを切り離して考えてたんだから、どう考えてもわたしの先入観ね。

「縫い物する物書き」といってまず最初に思いつくのが宇野千代さん。彼女が苦闘時代に和服の仕立ての仕事をして糊口をしのいだ話は有名です。こうした経験が高じて、宇野さんは後に着物のデザインにかかわることになりました(これについてはノート9に追記があります。あわせてお読みください)。従来の着物の感覚から見ると相当個性的で、わたしなんか手が出せずにいますが、とにかく、そこには一貫した彼女の「世界」があります。とくに桜の着物が素晴らしく、宇野さんが米寿のお祝いの時に自ら着た振り袖「桜吹雪」は、黒地に白と金の花びらが風に舞い踊っている、それはそれは素敵な着物です。和服に興味のなかった人にも、ぜひ見てほしい一品です。

 わたしが大学時代に自分の人生を考えるきっかけを与えてくれたフリージャーナリストの千葉敦子さんも、縫いもの、編みものがすきでした。彼女はラディカルなフェミニストで、今読みかえしてもその攻撃性に困惑するところがありますが、料理や手作りを「個人として」非常に愛しました。彼女の著書『乳ガンなんかに負けられない』には、ガンの宣告を恋人に伝える言葉を探しながら、クリスマスプレゼントのマフラーを編むシーンが出てきます。また、重度身体障害者の箙(えびら)田鶴子さんと交わした往復書簡『いのちの手紙』には、千葉さんが実は人形作りが好きで、今でも「いつか作ろう」と思って布きれやリボンを箱にたくさんためてあるけれど、なかなかその時間がとれないと残念がる姿が書かれています。その後人形作りの話が書かれていないところを見ると、その人形の材料は使われることなく、千葉さんは永眠してしまったようです(彼女は1987年にガンで死去しました)。今、これを書いていてあらためて思い出してきたのですが、わたしが手作り好きになった過程で、彼女の影響は少なからず大きいと感じています。

 そういえば、わたしが編みものを覚えたのも、ある作家の影響でした。橋本治さん。わたしが高校のときに編みものを覚えた『チャレンジニット 男が編む!!』は、今でもわたしの手もとにあります。当時は「デザインによる男女の性差」が今よりもっと激しい時代だったので、女性もののニットの本というと、エレガントすぎて自分の好みのものがありませんでした。この本は最初から男が男のために作られているので、無地の丸首セーターとアーガイルのベスト、といったようにとてもシンプルで応用がききました。大学までは縫い物ができなかったので、この本を参考に、ずいぶんいろいろなセーターを作りました。

 この本によると、橋本さんは、「学者になりたかったがそのためにはたくさん本を読む必要があった。編みものしながら本を読むと読書がはかどった、だから編みものを覚えた」という理由で編みものを始めたということです。ご本人は自分のことを「変態ですね」とおっしゃっていますが、それをためらいなくマネしたわたしも相当ヘンなやつでした。でも、これ、ほんとうに読書がすすむんですよ。ですから、橋本さんとの出会いも、わたしにとっては大きいといえるでしょう。ちなみにこの特技は今でもできます。

 で、いろいろ書いてみましたが、真打ちといったらやはりこの人でしょう。向田邦子さん。今(2000年11月現在)、書店に別冊クロワッサンの彼女のライフスタイルの本が並んでいますが、すごいですねー、上から下まで服が全部手製とは! 今まであんまり向田邦子には興味がなかったのですが、あれにはうならされました。白いシャツにツイードジャケット(ローレン・バコール風)の今年ふうの写真(表紙に使われている)なんて、よく残ってたなあ。

参考文献
『私の作ったきもの』 宇野千代 海竜社 1994
『乳ガンなんかに負けられない』千葉敦子 文春文庫 1987(単行本1981)
『ニュー・ウーマン』千葉敦子 三笠知的生き方文庫 1987(単行本1982 文化出版局)
『いのちの手紙』箙田鶴子 千葉敦子 ちくま文庫 1987(単行本1983)
『チャレンジニット 男が編む!!』日本ヴォーグ社 1983

 

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