●vol18. 永遠

 気候がよくなってきたので、夏服を出した。そして、びっくりした。

 去年作った服たちが、1年経ってもその喜びが色あせず、むしろ今年もこれを着られるのか、と思うと嬉しかったからである。

 写真だとおそらくあまりその魅力が伝わっていないような気がするのだが、塩縮のスカートなんか、本当に嬉しい。何回か洗って手触りがさらによくなっており、ますます汗を吸ってくれそうである。塩縮というのは絞りによって布に凹凸があるため、身体にべたっとくっつかない。だからますます快適なのである。
 日本の布を洋服に使った場合は、エスノを意識すると、持ち味が生きてくる。Tシャツ(アメリカの象徴?)と合わせると、「アジア」の香りがきわだつ。
 そんなことを想像していると、夏が楽しみである。

 自分が「好き!」と思える服を思い切って決断できるようになったのは、昨年ぐらいからのことである。
 それ以前は、服一つ選ぶのに、実にさまざまな邪念をもっていた。
「流行の服が欲しいな」
「でも来年も着られなくなったらイヤだな」
「そうだ、何年も着られるベーシックな服ばかりにしよう」
「でもそれだとダサイ」
「そのわりにお金かけたくない」
「すぐ出来上がらないとイヤだ」
「そのわりにできあがりを見ると納得いかない」
「じゃあ今度こそは手をかけてやろう」
「出来上がるまで他のことが何も手に着かない」
「家のなかは埃だらけ、台所も汚い皿だらけ」
「……ああ、もうイヤ!」
「こんなに悩むんなら既製品を買った方がまし」
「そうだ、もう洋裁なんてやめよう」
「いや、でもやっぱりここまで来たからには……」
 矛盾する考えが次々に頭の中をめぐる。そして最終的にはどっちつかずの布を選んでどっちつかずのデザインを作ってしまう。当然、出来上がった服は、納得がいかない。「何をいいたいのかわからない服」が出来上がってしまうのだ。
 「アダルトチルドレンとは何も出来ない完璧主義者」とは、よくいったものだなあっと思う。

 「補正は度胸」と掲示板に書いたけど、つまりは「何でも度胸」なんだと思う。失敗したって死にゃあしないさ。この発想がトラウマから脱却するときのターニングポイントなのだと思う。なにしろ、昔は失敗したら殺されてたからね。トラウマ・サバイバーは、「精神的に殺される」ってことの意味を知りすぎている。だから、「死なないこともありえる」っていう可能性が見えていないのだ。

 矛盾するようだけど、失敗するのが怖いから、だからこそかえって「永遠の成功」を求める。ずーっと何にも努力しなくても幸福が与えられる世界。不安を感じなくていい世界。

 そのわりに、その永遠を壊してきたのは、いつも私だった。業界中から「エデンの園」呼ばわりされていた給料の高い会社をやめたのも自分だし、離婚したくなったのも私だ。

 まともな私の感覚は、ちゃんと永遠じゃないことを求めていたのに、どうも、見ているものとやっていることが違ってた。

 おもしろいことに、去年の服が今年も好きでいられたのは、昨年、布を選ぶときの一瞬「これが好き!」って思えたからだ。後のことはどうでもよかった、っていうより、後のことなんか考えなかった。
 つまり、その「一瞬」に集中したらその感覚が「永遠」になったということなのだ。
 
 一瞬が永遠になるって、あまりにも哲学的というか禅問答っぽいのだけれど、でもときどき、そういうことを感じることがある。
 そういえば、職業用ミシンも、購入以降、「買わなきゃよかった」なんて、これっぽっちも思ったことがない。
 満足して半年早く死ねそうである(笑)。

 今年以降、布も服もどんどん増えている。
 それは、「今、この布、好き!」って思えたときに、「これでいいのだ」っていう気持が自分の中から一緒に響いてくるからだ。

 そういえば、ISLを開設して以来、「mindとspiritってどう違うんですか?」って一度も聞かれないんだけど(みんなわかってるのかなあ)、mindとspiritの違いって、これである。「今、この布、好き!」って思えるのがmind、「そういう気持をもっていんだ」って思えるのがspirit。
 この二つが統合されると、人間は強くなる。
(01.4.20)    

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