●vol15. 死とミシン

 洋裁を始めたとき、ミシンを買い換えた。フットコントローラー付きの家庭用ミシンと、4本針のロックミシン。
 家庭用のミシンは、いわば「よく働くカローラ」のようなものであった。必要な機能を満たし、何の不満もない。

 ところが、ある日、職業用ミシンが欲しくなってしまった。それは、よく働くカローラをもっているのに、「ボルボ」が欲しいと思うようなものだ。
 持っていたら持っていたで、悪いということもないだろう。世の中には、車を何台も買って、ほとんど乗る時間がなくても、ただ眺めるだけで満足している人もいる。
 でも、私は、自分にとってほんとうに職業用ミシンが必要なのかどうか、よくわからなかった。ちゃんと使えるのがあるのにどうして? どうせそんなに縫わないくせに。立派なミシンにともなう腕もないくせに。色々な声が心の中をかけめぐる。

 実は、ミシン代10万円は、今の自分になら、頑張れば出せないお金ではない。でも、それはあくまで「今」のことだ。

 私は、「老後」が異常に怖いのである。

「老後」って、いったいどれぐらいお金がかかるんだろう。私は本当にそれをよく考えているのである。
 結構ハイリスクな生き方しているから、老後に収入のある保証はない。家族もパートナーも頼れはしない。専業主婦じゃないから、第3号被保険者にはなれない。今の収入を、どう老後の資金にふりあてるか。私の生活プランは、それで大きく変わってくるのだ。
 ミシン代10万円は、老後の生活費の半月分に匹敵する。
 「怖い」と書いてみたけど、けっこうまともな経済観念をもっているだけなのかもしれない。

 それでも、ミシンへの夢は日に日に大きくなる。

 結果、私の出した結論はこうだった。
「もし、老後一文無しになったら、半月早く死ねばいい」。

 それより、1枚でもあこがれのミシンで服縫った方が幸せじゃないか。そう結論づけたのだ。

 昨日、ミシンを買いに行った。申込書を書くとき、なんと手が、震えてしまった。でも、書きながら、自分が怖くて震えているのではないということがわかった。外から脅かされるのではなく、内側からこみ上げてくる感情。そう、私は嬉しくて嬉しくてたまらなかったのだ。モノを買うときにこんなふうな震え方がしたことを、私は生涯のなかで思い出せない。パソコンを買うときも、マンションを買うときも、そうではなかった。

 それで私は確信することができた。この大きな買い物をしている理由は、私が、洋裁が好きになっているからなのだと。それ以外の理由など、一切ないのだと。
 それまでの私は、何を買うときも、何かに怯えて買っていたかもしれない。不安症だからマンションまで買っちゃったんだと思う。そうじゃないと後で後悔するような気がして、私は投資していた。現在を買わずに、未来を買っていた。
 今回はそんな不純な理由ではないことを、私は認知することができたのだ。

 職業ミシン「シュプール」は、明日、我が家にやって来る。

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