●中年宣言

 今年の4月で、35歳になる。

 ちょっと前まで、私は歳より3〜4歳若く見られるのが当たり前だった。渋谷の路上でよく協力者を探している市場調査では、32歳ぐらいまでは平気で「20代ですか?」の質問に「はい」と答えて図書券500円分をゲットしていたし、千葉県の柏駅の前では同じような調査を34歳になって受けたことがある。カルチャースクールでは大学生の後輩から「お肌きれいですよねー」などといわれていい気になっていた。

 別にムリしてそうしていたわけではないが、嬉しかったのは確かだ。
 着ている服が社会的成分をほとんど表さないのも、年齢不詳に見られる理由なのだろう。

 でも最近、むしろ「ちゃんと歳とって見えたい」という気になってきた。

 先日、テレビを見ていたら、私と同年代のゲームデザイナーという人が取材されていた。
 若い頃から実績を重ねてきた人で、ゲーム会社の子会社の社長をしているという。
 男の人だったんだけど、この人は、ジーンズにジージャンという、いたってラフないでたちであった。でも、そのジージャンというのが、ムリに「若くしている」というわけではなくて、ごく普通に仕事しやすいカッコをしたらこうなりました、という感じだった。仕事のしかたも油がのっているようで、好感がもてた。

 それで思ったんだけど、私と同じようなライフスタイルで歳をとっていく人たちが、それなりに定着しているような印象を受けたのだ。
 「妻っぽく」もなく、「キャリアっぽく」もなく、ごく普通のカッコして30代を迎えて、ちゃんと社会性ももっている人々。そういう人の一団が、ちゃんと世の中に現れている。

 私が20代の頃は、30代の人たちというのは、もう個性なんてなくなってしまって「終わってしまって」いるか、それに対抗しようとしてムリに突っ張っている人にしか、出会うことができなかった。社会の方が、私のような人間の居場所を許していない、という事情もあった。「29歳のクリスマス」なんてものがドラマのテーマになるほど大問題だった時代だったのだ。ほんの数年までは。

 たしかに、今でも、自分のような生き方はマイノリティなのだなあ、と、しんしんと感じることがある。ふだんはまったくというほど感じないのだが、実は、洋裁をやるようになってから感じることがあるのだ。私のように法的な結婚をせず、自分の仕事のことをしじゅう考え、不動産をもち、家族の影が薄い者は、洋裁の場ではあまり出会うことがない。洋裁好きの人と、洋裁の話をすることはできても、その先でどう盛り上がったらいいのかわからないことがある。ライフスタイルのレベルで共有できるものが少ないからだ。

 でも、とにかく、こんな35歳って、なかなかステキなんじゃないかと、ふと思う日がやってきたのだ。今までやってきたことに自信がついてきたのだろう。

 いっそのことだから中年宣言してしまおうと思った。なんだかそれがとてもラクチンなのだ。これからどんな服を着ていこうかと考えることができる。そこに希望がある。

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