●vol.25 ほめない

 もうずいぶん前に亡くなってしまった歌手の美空ひばりは、後輩たちに対してとてもやさしくて面倒見のよい人であったそうだ。にもかかわらず、たったひとりだけ後から出てきた後輩で冷たく当たる人がいて、それは誰かというと山口百恵だったそうです。
 ダウンタウンのまっちゃんも、美空ひばりと同様(意外にも?)やさしくて気のつく兄貴分であるらしい。でも、こちらにもやはりひとりだけまともに嫉妬剥き出しにする後輩がいて、それはナインティナインの岡村だったそうです。

 この話を私はある週刊誌のコラムで読んだのだが、(誰が書いていたかまったく思い出せない。週刊文春だったと思うのだが)そのコラムの筆者は、「人間、上の者から誉められているうちは、本当に実力があるとはいえないのではないか。実力ある先輩から嫉妬されるぐらいになって初めて、本物といえるのではないか」と結んでいた。
 まったくその通りだ、と、私も思う。
「人をほめよう」と思うときは、「いいところを探さなくちゃ」という見地に最初からたって相手を見てしまう。心の中でまっすぐに相手と対面せず、バイアスがかかっている。でも、いつもバイアスかかっていると、まっすぐ見てもほめたいような相手の良い面に触れたとき、それが果たしてまっすぐな感情なのか、先入観に基づくものなのか、自分の立ち位置がぶれてきてしまう。

 それと、私がこの考えを気に入っているもう一つの理由は、自分のなかに「嫉妬」という気持ちが湧き上がることについて、自分をラクにしてくれることである。
 嫉妬というのは自分の中で扱うのがとても難しい感情で、「嫉妬にかられて〜」という言葉があるように自分の行動の自由を奪ってしまいかねない。でも、小さな嫉妬で「私ってこんな嫌な気持ちをもってるんだわ」とおたおたしているのも、心の健康に良くない。
 私は、何か見て苦い嫉妬がこみあげてきた場合、私は「今見ているものを本気でいいと思っているんだわ」と判断することにしている。

 また、嫉妬は「自分の中に限界を感じる枠があってチャレンジできなかったもの」に対して強く湧き上がるので、この感覚を自己認知する際に、とても有効だ。
 自分には絶対似合わないと思っている服や髪型をしている人を見て、むかっとくることはありませんか? あるいは、自分が本当は行きたかった学校、つきたかった職業についている人を見て、苦い思いがわくことは? 
 自分が限界を作ってしまった、といって自分を責める必要はない。その限界は自分が作り出したものではなく、むしろ周囲の環境から取り込まれてしまった場合が多いからだ。でも、とにかく「枠がある」ってことに気がつけば、その枠を今すぐ取っ払うか、とりあえずしばらく置いて様子を見るか、自分で選ぶことができますよね。

 さて、半年休んでいる間に、今や周囲の洋裁愛好サイトは、本気で嫉妬しまくる所だらけである。新しい人もたくさん出てきたし、古い人たちも腕を上げたなあと思う。
 本気でいいと思っているから、まったくほめる気にならない。じゃあそういうときどうするかっていうと、うなる。「クーッ」とか、「カーッ」とか、PCの前でひたすらうなる。うなりっぱなし(笑)。そして、自分が何に刺激を受けているのか、観察する。デザインをそのままマネることはなくても、影響を受けるところはしっかり影響を受けて、で、自分のどこかに反映させる。


 ときどき、激しく嫉妬するので気になって自分の心を調べてみると、喉の奥に引っかかっている魚の小骨のように自分の心の奥に長年刺さったとげに出会うこともある。こういうとげは、嫉妬が起きるとビビビビーンと全身に響く原因となるので要注意。しっかり抜いておく。自分に虫歯があるときに、誰かにバーンと触られたら痛いでしょ。でも、相手を糾弾するんじゃなくて、自分の虫歯を治す方が、建設的な対処法ですよね。

 そういうわけで、これからもほめません(笑)。掲示板に「クーッ」とか書くかもしれないけどさ。これ読んだ人ならわかってもらえるけど、社会の共通語じゃないもんね。


 そういえば、私の映画評論の先生も、最初に課題作品を持っていったときは「こういうところがいいですね」と、必ずいいところを探してほめてくれたけど、プロデビューしてからは、とんとほめなくなった。誉められなくなって初めて、「あ、私、独り立ちしたんだな」と思ったことを、とてもよく覚えている。そして、「承認されなくても生きていける私になったんだな」ってことも。
(02.12.15)
   

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