●vol.30 「成功法則」と「海のトリトン」

 しばらく更新しないうちに、ずんずん人間が先に行ってしまいました。
 でも、細かい話はぬきにして、進めます。

 経営コンサルタントの神田昌典さんは、文章の書き方の教科書として大塚英志さんの『物語の体操 〜みるみる小説がかける6つのレッスン〜』をあげていらっしゃいます。
 しかし、大塚さんの本で本当に問題にするべきは、『物語の体操』の後に書かれた、『キャラクター小説の作り方』の方だと思います。

 『物語の体操』は、いわゆる「英雄の成長物語」の書き方の本です。多くのハリウッド・ストーリーは、この法則に基づいています。ヒーローが最初の2回に失敗して3回目で成功するという筋書きまで一緒です。TVショウ『どっちの料理ショー』で、達人が最良の食材を書くとする前に必ず2回失敗するのもこの法則に基づいています。
 ところが『キャラクター小説の作り方』では、大塚さんは、「英雄の成長物語」の先を書いています。そして大塚さんは、「日本の若者に書いてほしいのは、ハリウッド型=アメリカン・ヒーロー型の小説ではなく、日本型の物語である」として、手塚治虫さんの『海のトリトン』を例に挙げています。

 主人公トリトンは、トリトン族の末裔の王子として、かつて自分たちの種族をほろぼしたポセイドン族を追い詰めてゆきます。しかし、最後にポセイドン族を倒して「ゴール」に到達したとき、彼は、衝撃的な事実を知ります。
 そのときまで、トリトンは、自分の祖先を滅ぼしたのがポセイドン族だと信じていました。しかし、滅ぼした後になって、実は、自分たちの祖先のトリトン族の方が先に、ポセイドン族を虐殺していたということを知るのです。英雄物語の主人公であったはずの自分が、実は、加害者であった。『海のトリトン』は、成功物語のようで、実は、成功のダーク・サイドにまっしぐらに突き進んでいた、という物語なのです。
 大塚さんは、この話を紹介して、「『海のトリトン』は、ディズニーには絶対に書けない話である。手塚さんは、敗戦国日本のアイデンティティとしてこれを書いたのだと思う。私は日本の若者に、いたずらにハリウッド型のアメリカン・ヒーローを作り出すのではなく、日本人だからこそ描ける『海のトリトン』型の物語を書いてほしい」と『キャラクター小説の作り方』の中で語っています。私は、神田さんは絶対これを読んでるけど無視したと思っています(笑)。

 思索と文章を書くための強力なツールとして、右脳開発(フォト・リーディング)を学んだ私、そこで処理される大量の情報量によって、過去のトラウマがみるみる洗い流されていくことを感じている私。おかげで、とてもポジティブなマインドを身に着けたと思います。
 しかし、そこで一番大きな変化は、「わたしは最初から成功のダークサイドを知っている境遇に生まれて良かった、大きな成功をめざさなかったことが私の大成功だ」と思っていることです。以前はずっと、「ダークサイドを知らなければ、もっと飛躍できたのに、だから私は決断力がないのだ」とわが宿命を呪っていたのですが。

  最近、アンソニー・ロビンスという人の『人生を変えた贈り物 〜あなたを「決断の人」にする11のレッスン』という本を読みました。いくつかコーチングの本を読みましたが、これほど「決断」について、明確な指導力をもった本はないと思います。また、彼のこの本の著者印税は、すべて彼が運営するNPOアンソニー・ロビンズファンデーションに寄付されるそうです。私も、書籍を出版するときは、1作目からぜひ売り上げの一部を寄付したいと思っているし、私は彼らに比べたらまだ全然努力の足りない人だとしみじみ気がついているので、いつかその日を夢見て一から文章を勉強しています。この本も、大いに私を助けた本として記憶されるでしょう。
 しかし、そんな彼もまた、豪邸と家族のフィジー旅行か! なんかもう、そういうの、飽きました。そこまで経済的成功する必要があるのかな? ずいぶん、失うものも、また「見えざる弱者」から奪っていくものも多いだろうに。
 世界はゼロ・サム・ゲームでできている部分と、ゼロ・サム・ゲームでできていないものがあります。人の心の動きや出会い、などは、エントロピー(増大する法則)で、誰かが勝ったから負けるという種類のものではありません。すなわち、ゼロ・サム・ゲームではありません。だから、どんどん豊かにしていくこと、大いに結構。
 しかし、お金や土地といった物理的な権利は、および、自然の天然資源はすべてゼロ・サム・ゲームです。誰かが勝てば、誰かが負けます。使えば、なくなります。それは、「勝てるから」といって勝ち続けてはいけないものなのです。成功のダーク・サイドはそれを教えてくれる貴重なものなのです。それなのに、彼らにはダーク・サイドがないみたい。

 ユダヤ・キリスト教倫理観の影響を、私はそこに見ています。ユダヤ・キリスト教の倫理観は、「人は、動物でないから人間、神が動物とは分けて創った存在だから存在だから人間」という価値観からスタートしています。彼らも精霊は大事にしますが、彼らには、木々や動物の声は聞こえないようです。旧約聖書を読むと、それがよくわかります。動物や植物の精霊の声が聞こえてくると、彼らはアイデンティティが壊れてしまうのではないでしょうか。そうでないと、どうしてあれほど賢く、豊かな人々が、自然の痛みの声が聞こえてこないのか、それによって自分たちの行動をコントロールしないのか、という理由がわかりません。

  生きることは恐ろしいことです。自信がもてなくなるのも当たり前です。だから、いろいろな麻薬が存在して、私たちを怖くなくしますが、各種の成功法則は、「そんな時間の無駄はおよしなさい、あなたは無限な可能性を持った人間なのだから」と教え導きます。
 しかし実のところ、「成功法則にしたがって生きる」というのが、実は一番強力な麻薬なのではないかと思うほどです。そうすると、大成功したメンターたちが、何かに麻痺しているんじゃないかと思うほど大金持ちな理由もわかりますし、もっとも強力に生きることの恐怖から逃れさせてくれる意味もわかります。他の麻薬と違って、「またやってしまった」という罪悪感もありません。しかし、だからこそ、一度はまるともう絶対抜けられないという法則は、酒やドラッグなどとは比べ物にならない強さなのではないでしょうか。

 かなり身もふたもないことを書いてしまいましたが、各種メンターの中で、神田昌典さんだけは、このことに気が付いているのを隠していません。(そういうところが、強力なファンをもつ理由なのでしょう。私もだから彼が好きです。もしかして『トリトン』を意識していたりして)。
 4月28日発行ののメルマガで、彼はミヒャエル・エンデの『モモ』と『エンデの遺言』を紹介し、「『モモ』を読むとビジネスマンをやる気がうせる、『エンデの遺言』を読むと、金を稼ぐ気が失せる(笑)、勇気がある人だけ読んでください」といっています。私はこの2冊をまだ入手していませんが、今回のエッセイは、彼のこの一文に大いに啓発されて書いています。ついでに、エンデならやりかねん、と思います(笑)。

人はダークサイドの存在を知るために、成功に向かって走る。

 実は、ハリウッドでも、このことを堂々という監督が出てきました。誰あろう、スティーブン・スピルバーグと、ジョージ・ルーカスです。
 『ジョージ・ルーカス』のスター・ウォーズは、だからアナキンがダース・ベイダーとなったところで終わるわけですし、かつて『シンドラーのリスト』でユダヤ人の悲劇を描いたスピルバーグは、『ミュンヘン』で、まさに成功のダーク・サイドに向かって突っ走るイスラエル工作員を描きました。さすがに彼らも成功に満足したんですかね。

 さて、「成功法則の先にはダークサイドしかないんだよ」っていうことを知っちゃっている私はこれから先、どの道をいったらいいのでしょう。「じゃあ、何も努力しないよ」って虚無的に生きるのもイヤですし。

 二つのアイディアがあります。
 一つは、拡大し続ける大きな成功は目指さないけど、「小さくてもキラリと光る成功」を目指す、ということ。
 もう一つは、「決める」ことです。なんか今まで「成功法則」をネガティブに書いてきちゃった感じがするけど、これだけは、本当に、大いに学んだことです。
 ただ、私の結論は、生きる怖さから抜け出すために、「夢を持つこと」は必須ではありません。「決める」ことが必須なのです。なぜなら、「決める」の反対語は「迷う」だからです。夢を持たないことがつらいのではありません。迷うことがつらいことのです。
(06.5.3にブログに投稿したものを、採録したものです)
   

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